RM_horseの競馬コラム

RM_horse別館コラム

RM_horseの競馬コラム(https://rm-horse.hatenablog.com/)の別館です。競馬以外の興味ある話題を書きます。

タトゥー・刺青に関する私見

 

ボクシングの世界チャンピオンの井岡一翔選手が

刺青を隠さずに試合をしたことで、JBCが処分を検討している。

 

このニュースを機に、度々発生するタトゥー・刺青の論争が

再びヒートアップしている。

SNSではイマイチ論点が整理できていない感があるので

しっかりと整理しておきたい。

 

 

前提:井岡選手が処分を受けるのは当たり前

まず前提として井岡選手が処分を受けるのは当然です。

なぜなら「刺青は隠して試合をしなければいけない」と

規約に書いてあるからです。

 

これは井上尚弥選手もTwitterで言及していますが、

ルール違反をしたら処分を受けるのはごく当たり前のことです。

ルールがおかしいと思うからといって、そのルールを守らなくていい

という考えは秩序が保てません。

ルールに異議があれば変更を主張し、

ルールが変わってからそのルールの範囲で自由にする。

これは大前提です。

 

つまり井岡選手が処分を受けることと、

タトゥー、刺青を社会が許容するかどうかは全く別の話なのです。

 

 

JBCのルールは外野が言うことではない

そしてJBCのルールに関しては

全く関係のない外野の人間がとやかく言うことではありません。

 

これは想像ですが、JBCが刺青を露出しての試合を禁じているのは

古い考え方がそのままになっているだけではないと思います。

 

ボクシングは昔は反社会的勢力との繋がりが切っても切れないほどあり、

興行がそれらの人間によって成り立っているような時代がありました。

元世界チャンピオンが反社会的勢力の構成員になっていたりします。

もしかすると今もその名残はあるのかもしれません。

そういったことを払拭するためにも刺青に対するアレルギーは

強く出ているのではないかなと思います。

 

加えて、まだまだテレビ局はタトゥー、刺青に否定的です。

テレビ放映は選手の知名度向上や、競技の普及に貢献が大きいです。

テレビ局がタトゥー、刺青は放送できない方針であれば

それに従わなければボクシングの注目度も落ちてしまいます。

 

こういった背景を考えれば、

外野がどうこう言える話ではないことは明白です。

決してJBCのルール自体が日本社会の象徴ではないと思います。

 

タトゥー、刺青が規制されるのが嫌なら、

JBCではなく社会を変えていく必要があります。

 

 

タトゥー、刺青のある人への個人的印象

私はタトゥー、刺青があるだけでダメだとか、そういう決めつけはしませんが、

初対面で接するときにはどうしても身構えはします。

それはイメージではなく経験からきています。

 

中学の同級生で入れている人が数人いるのですが、

全員いわゆるヤンキーで自分の意見が通らないと暴れるような

協調性が乏しい自分勝手な荒くれ者でした。

 

また、バーにひとりでよく飲みに行っていた時期に、

隣に座った人に刺青があったことは何度かありましたが、

「刺青を露出させておけばみんな近づいて来ないから楽」

だと話している人ばかりでした。

どうやら他人を威圧する目的で刺青を入れているようです。

 

もちろん刺青を入れていても悪い人ばかりではないですが

他人を怖がらせたい、自分の主張を通したい人の割合が

多いように感じるため、どうしても接する時は身構えてしまいます。

 

 

一方的に多様性を主張するのは危険

ではタトゥー、刺青を日本社会に認めさせたい人々はどうすべきか?

多様性を主張し、刺青を入れる自由をうたう意見をよく見ますが

それでは社会は変わりません。

 

なぜならタトゥー、刺青を毛嫌いする思想も多様性の一つだからです。

嫌いな人は我慢しろと言うのは多様性ではありません。

ただの自己中心的な主張を「多様性」という言葉でごまかして

自分たちは何も譲歩せずに一方的に社会が変われと言っているだけです。

 

タトゥー、刺青のイメージが悪いのは、

パブリックイメージ向上に努めて来なかった今までのツケでしょう。

 

タトゥー、刺青が見えていても隠さなくていいよ、温泉に入っていいよ

と言っていいのは自分が入れてない人だけです。

刺青びっしりの人がそういう主張をしても、

「不自由な面や偏見を持たれやすいのを承知で入れたくせに。

 じゃあ入れなきゃよかったじゃん。」

としか思われません。

 

多様性とは思いやる心だと思うんですよね。

「若気の至りで刺青いれたけど、よく考えたら怖い人もいるよね。

 だからなるべく隠そう。」

と考えている人も一定数いるはずです。

 

そういう思いやれる人は刺青が入っていても私は好きですし、

嫌な気持ちになる人はいないと思います。

 

逆に入れていない人も

「威圧したり迷惑をかけたり、反社会的組織でなければ

 他の人と同じように接しよう。」

という心構えは必要だと思います。

あいつ隠してるけど刺青入っているから嫌いだ

なんてことはあってはならないです。

 

これは近年議論が盛んなジェンダー論に関しても一緒だと思うんです。

自分たちの不便ばかり主張していると、

他人は関係なく、自分だけが楽に生活するための運動なんだと

捉えられがちです。

 

例えばフェミニストならば男性の不便についても考慮すべきでしょう。

男のことは知らないよという態度で、男性の支持が得られるとは思いません。

 

 

主張の声が大きい人は攻撃的な印象が強いですが、

必要なのは温和な思いやりです。

 

タトゥー、刺青は入れているだけで

攻撃的な印象を与えるのは否めませんから、

より気をつけなければならないと感じます。

 

攻撃的に主張してくる人に同調する理由がないのですから。